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〜北海道余市PART1(PART2)〜 オーガニックマーケット北海道 300本のサクランボ姫 西崎さんの思いいつまでも初夏に実れ! |
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減農薬さくらんぼ
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余市の改札口で出迎えてくれたのはオーガニック・マーケット北海道の菊地さん。氏の風貌を例えるならば「塀の中の懲りない面々」を著した作家に似てもいるし、今日の陽光のような温もりも併せ持つ面構えだ。声は冬の北海道の荒れ狂う海から、息も出来ないほどに襲い来る烈風と打ち寄せる怒涛の響きが、腹の奥底で共振した波長である。その彼が「オー、久しぶりだね」と片手を挙げ、笑顔を崩して立っている。久しぶりの再会だった。 思い立つように羽田を飛び立ち、どうしても訪れたかったのは西崎さんの墓前だった。さくらんぼの花と共に逝ったそのとき、僕はオーガニック専門の地ビール工場を立ち上げた直後からの混乱を収拾していた時期で、どうしても葬儀に駆けつけられなかった。その不義理がずっと僕の心の中にわだかまっていたからだ。 「急にどうしたの」 「仕事の話もあるんだけれど、まず西崎さんのところに連れて行ってよ」 「ソォーだよね」 西崎さんに初めて出会ったのは17・8年前の神田だった。豆タンクのような体躯とふっくらとした童顔、やや前髪を垂らし、きちっと七三に分けた髪、薄いブルーグレー地のスーツ姿を覚えている。この人が積丹農協の参事として、農薬化学肥料に依拠する北海道農業に、代案の有機農業と食の安全と環境保全の旗を掲げた人物だ。管内生産者に化学肥料を排除し、有機堆肥の鋤き込みを義務付け、土中微生物と共生する、活きた土作りをすることにより、植物の生理活性を高めて健康な植物体を育て、農薬の使用を極力抑える作物の栽培を奨励した。農産物のあんしん・あんぜんを守るために、泊原発反対運動の現地団体の先頭にも立っていた。 消費生活者と顔の見える関係を大切にし、北海道有機農業の先駆的指導者として活躍している行動実践派の人で、農協人としては革新的な人物だと奈良よつ葉会の清水さんから紹介された。(当時、農協系統で安全な農産物を作るために、農薬・化学肥料を抑えて有機農業を推進していたのは、長野県の臼田農協・静岡県の函南東部農協・岡山県高松農協・宮崎県綾町など本当に数えるほどだった。) しかし、この直後西崎さんは、全国多くの環境派市民団体から押され、参院選挙の全国区比例名簿一位に推されたため、その職を辞することになる。そして仲間の菊地さんと「安全な食べ物を食卓に」をスローガンにO・M・Hという組織が創られた。ここでも、彼が一貫して向き合い続けたのは土と農民であった。志しなかばの夭折であった。
そこから、なだらかな丘陵を5分ほど南に上った所に西崎さんの園地はあった。南西方向に広がる扇状の緩やかに傾斜した105aの果樹園は、サクランボの品種の中で最も人気のある佐藤錦や南陽・水門が剪定も終わり開花を待っていた。
日本全国に安全でおいしく環境を保全する有機農産物を広げ、子供たちに未来ある地球を引き継ぐのだと、心血を注いだ西崎さんの意志を引き継いで、年間約6トンの有機堆肥と土壌改良剤を投入し、4月から6月初旬までに4回の灰星病予防の殺菌剤。4月下旬、5月初旬、6月初旬のハマキ虫、アブラ虫、ハダニ防除、8月中旬ダニ防除の殺虫剤を年間原液換算で、一本の木に合計0.05ccを散布する計算の減農薬栽培である。東北地方の主産地と比較すると2分の1から3分の1の使用量である、これだけを聞いても相当の努力をしているのだと思わずにはいられない。このサクランボ栽培に西崎イズムの実践を賭す保子さんに心の中でエールを送りながら、果樹園の上に広がる青空の心となって余市を後にした。
さて、帰りに余市駅から名店街を5分ほど歩いたところに「みどりや」という寿司屋がある。生うに、本マグロ、烏賊、蛸、イクラ、しろ貝を始めとする貝類と前浜であがる余市の味もお勧めです。隣の小樽も良いけれど味と鮮度でまさって、お愛想(勘定)もうれしい余市の寿司屋でありました。 |